2017年04月27日

「コルンブス」「ブレーメン」「オイローパ」(13) (両大戦間に活躍した北ドイツロイドの客船トリオ)

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「ブレーメン」就航前に行われた射出試験

新造客船「ブレーメン」がニューヨークに向けて処女航海に出航する2週間前の1929年7月8日月曜日、ブレーマーハーフェンのコルンブス埠頭では船上のカタパルトから郵便機の射出試験が行われようとしていた。
建造した造船所や運航会社の関係者など多くの人が集まって来た。
「ブレーメン」のサンデッキにある展望レストランの屋上に設置されたカタパルトには既に低翼単葉双浮舟の郵便機He12がデリックで吊り上げられており、多数の招待された記者やカメラマンがサンデッキやアッパープロムナードデッキで見守っている。
コルンブス埠頭に北海に向かうヴェザー河に右舷付けで繋留された本船の太く短い煙突の間に設けられた旋回式のカタパルトは左舷側に向けられている。

北ドイツロイドはブレーメン市のヴェザー造船所(AG Weser:Deschimag)と1928年12月14日に建造契約を結び、同船は第872番船として翌年6月16日に起工された。
進水式はハンブルクのブローム・ウント・フォス社で建造中の同社第479番船の進水翌日である1928年8月16日に挙行され「ブレーメン」と命名された。これは船主代表や来賓が同じ日にハンブルクとブレーメンの会場に参列することが出来ないためである(ブローム・ウント・フォス社の479番船は「オイローパ」と命名された。両船は同時に北大西洋航路に就航する予定で工事日程が組まれていたが「オイローパ」が艤装岸壁で火災となり就航は8ヶ月遅れてしまった)。

ヴェザー造船所はブレーメンにあったので艤装工事を終えて1929年6月24日におよそ50キロメートル下流にある飛び地ブレーマーハーフェンのコルンブス岸壁に曳航され、同月27日に第1回試運転を行っている。
上掲の写真はそれから2週間も経たない時期であり、サンデッキ屋上の郵便機用カタパルトは造船所で設置された状態で曳航された。
郵便機はブレーマーハーフェンに着水したのであろうか?

ハインケルの自伝では「1929年6月末、カタパルトと飛行機はブレーマーハーフェンに送られた。『ブレーメン』での取り付け工事が終わるころ、私はシュヴェルツラー(Schwärzler)とテスト・パイロットのシュタルケ(Rolf Starke)と、そのチャーミングな奥さんと共にブレーマーハーフェンに向かった。すばらしい7月のひであった。」と書いているので、おそらくルフトハンザの機長シュトゥドニッツ(Jobst von Studnitz)が郵便機を操縦して持ち込んだものと思われる。

7月8日に繋岸中の「ブレーメン」からカタパルト射出試験を行ったときシュタルケが操縦し、洋上航行中に飛び立つことになっていたシュトゥドニッツは後席に着座していた。
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この写真はそのとき撮られたもので背景はヴェザー川対岸のノルデンハムである。
K2型カタパルトの先端がよく判る貴重な写真である。

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その後、カタパルトの傍で撮った記念写真である。
関係者に遅れられた花束を手に坐って居るのが洋上飛行予定者のシュトゥドニッツ、後に立っているのは向かって左からカタパルトと郵便機の開発者であるエルンスト・ハインケル、北ドイツロイドの郵便飛行担当のシュリンク博士(Dr. Schuring)、ルフトハンザの役員エアハルト・ミルヒ(Erhard Milch)である。

背景にカタパルトの圧搾空気シリンダーが見える。





この記事へのコメント
初めまして。
東京でテレビ番組を制作しております。
ウッドオフィスの阿部と申します。
「ロイヤルバイキングサン」の画像を探しているのですが
2011年1月22日に掲載されています、
ロイヤルバイキングサンの画像をお借りできませんか。
何卒よろしくお願いいたします。
Posted by 阿部一樹 at 2017年06月08日 13:03
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